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なんでも、かんでも

なんでも、かんでもレビューするだけのブログ。

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八犬伝

なんでも、かんでも

仕事を変えて、今まで時間の取れなかった映画鑑賞(主にレンタル)だったり、観劇や読書(これは仕事してる時でも読んでたけど)だったりなんかを楽しんでいます。
大いに楽しんで夢中になるくせに、次の愉楽をあさり始めると、
ところてんのように忘れてしまったりするのは決して歳のせいではなく、そもそもがそういう人間だからである。
しかし、せっかくだからいつでも思い出したい。
なので、健忘症気味な私の備忘録として、読んだもの観たもの楽しんだもの、
なんでもかんでも記録していこうと思う。
酷評も絶賛も、どちらも同じくらい考えて、等しく書くつもりである。


さて、なんとなくレビューだけのブログをしておいた方がいいかなあと、薄ぼんやり考えていたけれどどうも踏み切る手間を惜しんでいたのだが、その重い腰を蹴り上げたのが
先日、観劇した「八犬伝」である。
デカい画像だが、チラシの画像はこちら。


八犬伝公式HP

年明け頃から、デンデンデンと深紅のバックに藍の袴を着た阿部サダヲ、瀬戸康史、田辺誠一がならぶCMを名古屋テレビは流し続けていた。
深紅と藍という色のコントラストが非常に美しく、眼を引くCMであった。
はじめは、特に興味はなかったがほぼ毎日、しかも数回は見ているうちにむくむくと興味が出てくる。
そのうち、キャストプロフィールが追加され、二階堂ふみ(宮崎あおいと顔の違いを誰か教えて欲しい)、津田寛治、中村倫也が後続した。
阿部サダヲでなく、瀬戸康史でなく、二階堂ふみでなく、中村倫也が決め打ちだった。
中村倫也は、面白い役者だと思っている。
雰囲気も顔も、七変化のように芝居を変えれるところも良い。
迷った挙句、チケット購入した。
なぜ迷うって、大きい公演はチケット代が高いからである。諸々で8000円ほどかかった。
しかもS席でなく、A席で。高いよー高いよー
小林賢太郎の公演だってそんなにしないよー高いよー
とまあ、私にとってはお高いチケットを握り締め、いざ刈谷へ。

席は二階5列。役者の顔は見えません!しかも乱視が進行したのか、肝心の「玉」さえ一つが五つくらいに分身して見える始末。
あんまり大きな公演に行った試しがなかったので、ここまで舞台から遠いとは思ってなかった私が悪い。
まあ、それはいいとして。
芝居の話をする前に、八犬伝とは、薄ぼんやり説明すると、犬の一文字を名に持つ八人の若者たちが、それぞれ牡丹のような痣を躰のどこかにあり、漢字が浮かび上がる玉を持っていることから「同志」だと信じ、大義の為に集結して、なんやかんやするっていう冒険活劇。
滝沢馬琴原作で、薬師丸ひろ子主演や滝沢秀明主演で映画化も何度かありましたね。
最近では桜庭一樹さんの伏・贋作里見八犬伝が刊行されたりアニメ化したりと話題も多いです。
でも、大まかな物語しか私は知りません。
今回は、青木豪が書き、河原雅彦の演出「八犬伝」を楽しんできました。


ということで、
和太鼓の音と共に八犬伝、幕開けです。
血のあとが荒々しい一室。
「なにゆえ〜〜?」と登場した阿部サダヲ扮する信乃。


「なにゆえ~」連発に笑いが起きる。
冒頭、信乃のコミカルな動きから始まり、要所要所に笑いが仕込まれた演出である。

そんなこんなで、信乃は父から宝刀・村雨を預り、献上するために旅に出ることを決意します。
そのタイミングで瀬戸康史扮する犬川荘助が信乃の持つ「孝」の字が浮かび上がる玉を見て、
荘助も「義」の玉を持っている上に、信乃の痣と同じ痣があるとして、自分たちはなにか「使命」があるのではないか、と信乃と共に行くことを提言します。


そこでオープニング。
青色に光り宙を舞う八つの玉、上手下手に仁王立ちする信乃と荘介。
まるで映画やアニメのOPのような演出でプロジェクターの映像と和太鼓が臨場感を煽る。
この舞台、上手下手に可動式の櫓が据えられていてそれぞれに和太鼓が設置してあり、音源でなくLIVEで音が鳴る。
 
画像の左側がその櫓。これは幕が掛かってる状態で上部に奏者と太鼓が隠れてる状態。
一幕の中盤で、尾上寛之扮する犬飼現八と信乃が奏者に代わり太鼓を打ち鳴らすというパフォーマンスもあり。これは、見事!

お話としては、
八犬士が次々と見つかり始めるが、信乃が刀傷から破傷風を患い死にかかる。
八犬士の一人である犬江親兵衛が「男と女の血をそれぞれ5合ずつかけると治る」という言葉に縋って
二階堂ふみ扮する浜路と荘助が身を呈して、信乃を助ける。
結果、浜路は命を落とすが荘助は助かる。
遂に八犬士が集結し、法師から里見を救うという「大義」を知らされる。
いざ行かん、里見へ!と旅路につくが、仲間の裏切りがあって・・・

という感じでした。
オチでいうと、レイアース無印。「こんのってないよーーーーーーー」と叫ぶ八犬士。
叫んじゃいませんがね。

物語は、二幕から原作を大胆に脚色してあって別物。
もののけ姫然としていて、随分と教訓めいた終幕だった。


感動!!!!!!という物語ではなかった。あくまで私見だが。
なにが良かったって、和太鼓だ。言い切ります。
この舞台、ことあるごとに立ち回りが始まる。
殺陣ってのは、どれだけ上手くても引きで見ると悲しいかな、寸止め感が大きくなる。
映像作品になると、画面を切れるのでちゃんと「殺し合ってる」感が演出出来るが、舞台では難しい。
それでもこの舞台が概ね好評価だったのには、和太鼓があったからだと思う。
LIVEでなく音源だったら、殺陣はかなり迫力を削られただろう。
生の音には、それだけでパワーがある。なんたって身体に響く。
観客はドンドンと打ち鳴らされる音に、腹の奥底が震える。
立ち回りをしている彼らの心拍や息遣いが太鼓の音に乗って伝わっているように、
殺陣にそれだけ命を吹き込んでいた。

舞台は生だって、よく言うけれど、大きな公演になると「生」ではないと思う。
SEが音源だっていう話だけではない。
何よりも悲しいのは、肉声ではないこと。
小劇場でみる芝居には、圧倒的なパワーがある。それがてんで面白くない芝居であっても。
役者の表情がどの席からも見え、ちゃんと肉声が台詞を生むからだ。
その迫力は、大きな公演では等しく享受出来ない。
マイクを通す台詞と肉声とでは、観客に届ける情報量は桁違いだから、それが惜しい。
でも、マイクを外すとなると、あの広さの劇場で最後列まで届けるのは自殺行為だろう、喉が潰れる。
そこでもまた和太鼓は、大きな役割をもっていた。
立ち回りも、肉声も、舞台が持つ嘘臭さを、生の音で吹っ飛ばしていた。

ということで、初回から長々と書いたが、和太鼓万歳という話。
中村倫也さんも、毛野ということで立派に女形を演られてた。
声色や身のこなしは勿論、女から男へ変貌する瞬間が非常に上手かった。
今度生まれてくる時は、畜生になってやるっていう台詞も良かった。
他のキャストは、期待を裏切ることなく、つつがなくといった所。

あ、ちなみにラーメンズは全部地声でやってると思うわ。
マイク付けてない、はず。私の知る限りでは。
だから劇場も適度に小さいし、賢太郎かっこいいし仁ちゃん可愛いし、早く本公演やってくr



ということで、「八犬伝」、美味しく頂きました。

2013/04/014 名古屋公演千秋楽を観劇




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