だが、考察というにはあまりにも主観だったので
もうちょっと具体的な考察をしてみようと思う。
整合性をもって解明することを試みた為、上記の記事とは辻褄が合わない部分が生じたが
そのまま残しておくことにする。
尚、この記事は既読者へ向けたものであるから
今から読もうとされている方は是非、読んだ上で再訪をお願いしたい。
さて、ウツボラだが
なぜ、どこが、謎なのか?
・ウツボラの作者が誰なのか
・藤乃朱の正体は誰なのか
・死んだのは誰
概ね、この三点が謎だと言えるだろう。
しかし、これは作中で明かされている。
隠され、誤魔化されはしているが、正解は明白だ。
・ウツボラの作者は秋山富士子(PN藤乃朱)、
・藤乃朱は三木桜(本名不明:浅○○○)と秋山富士子の二人
・死んだのは秋山富士子
時系列で物語を紐解くと、上記の解答に至るはずだ。
三木桜(これは偽名)と秋山富士子は図書館で出会う。
いつも同じ作家の本を読んでいる秋山富士子に三木桜が声を掛け知り合うこととなる。
これは推察だが、三木桜は溝呂木のファンではなかったのではないか。
この出会いの時点で、三木桜の顔は全体像を持って描かれていないが
三木桜のカルテによると(二巻より)
・桜は全身整形を受けたと思われる
・カルテ(施術時)の顔写真は髪が短い
これは横領を働き追われる身となって整形したと考える方が自然なので
整形し、美しい姿になってから富士子と出会ったと考える。
桜が溝呂木の耽美小説から抜け出たような容姿なのは、意図的ではなく
富士子が、桜の容姿に惹かれて二人の関係がはじまったのだろう。
どのくらいの交際期間があったかは不明だが、二人は同棲(居)生活を送るようになる。
その頃、溝呂木はというと
「藤乃朱」という名で届くファンレターに悩んでいた。
溝呂木自体はひどいスランプ状態に陥っており、もう何年も小説を書いていない。
ファンレターは編集部に届くだけだったが、
分厚い原稿が自宅に直接投函されるまでになり、溝呂木はノイローゼ状態に陥る。
というのも、溝呂木はおそらく藤乃朱のファンレター及び
自宅に投函された原稿を読んでいるからだ。
明確に描写されてはいないけれど、コヨミの「読むんじゃないですか」発言や
編集部で溝呂木が藤乃朱の投稿作を迷いなく盗んだことからの推察だ。
自分が書きたくても書けなかった「溝呂木舜の小説」が読者の手によって書かれてしまったこと。
自著として発表することに「不思議なほどためらいはなかった」というのは
ウツボラが「溝呂木舜の小説」だったからだろう。
一方、ウツボラがさえずりに掲載されたことで桜と富士子が仲たがいする。
桜は富士子に黙ったまま勝手に「ウツボラ」を新人賞に投稿してしまい、どういった経緯でか
溝呂木の名前でウツボラが紙面に掲載されてしまったからだ。
桜はこの時点では、そこまで策略を巡らせてはいなかっただろう。
「まさかこんな展開になるとは思わなかったけど」という台詞からもそれが伺える。
新人賞の講評者には溝呂木も名を連ねていることから、、
桜としては、溝呂木の目に留まればいい(或いは富士子の作品が賞を取って日の目を見ればいい)というだけの思いだったのかもしれない。
事態を複雑化させたのは、富士子もまた自身の作ウツボラを新人賞に応募していたことだ。
これで、編集部に届いたウツボラの原稿は二冊。
・桜が勝手に投稿した「ウツボラ」
・富士子が自分の手で投稿した「ウツボラ」
辻と溝呂木が一冊づつ所有することになる。
そして、冷静になった溝呂木は「藤朱乃」の存在に怯え、
辻は尊敬する先生を疑っていくことになった。
※前回の考察記事にはウツボラが溝呂木の自宅に届いたと書いたが、
これはおそらく私のミスリード。自宅に届いた原稿と投稿作とでは厚みが違う。
おそらくウツボラ以外の習作だろう。「夢日記のようなもの」かもしれない。
桜と富士子だが、本編中描かれることはないが
おそらく富士子は酷く焦ったであろうと思う。
富士子と桜が投稿したウツボラは、おそらく編集部の眼が入る。
そうなると、溝呂木がさえずりに発表した「ウツボラ」が盗作さくだということが周知になると。
ところが、富士子は行動に移さない。移せないのか。
行動するのは桜だ。出版社のパーティに潜り込み、溝呂木に接触する。
溝呂木好みの美しい桜は「藤乃朱」だと偽り、溝呂木と枕を交わすようになる。
ただし、溝呂木は幼少時の事故が原因かその他の要因かで性的不能者であるので
接合するには至っていない。
こうして溝呂木と朱としての桜は関係を深めていく一方で、
桜は富士子に溝呂木との情交を打ち明け、この二人の関係も泥沼のように深くなっていく。
桜と富士子の間にどのような経緯があって、富士子を桜と同じ顔に整形させて
溝呂木と富士子を引き合わせることになったのか一切描かれない。
だが、おそらく、おそらくだが、ウツボラになぞった行動だったのではないか。
変化する女の物語であるウツボラ。
富士子が朱の姿に変化したと同時に、桜は長い髪を切っている。
これが「大仕掛けの仕込み」だろう。
おそらく桜の予定では、富士子を中身も容姿も「藤乃朱」に仕立て上げ
更に別人の三木桜として溝呂木の前に姿を現すつもりだったのではないだろうか。
当然、顔が同じでも溝呂木は桜と何度も寝ているわけだから、
彼が二人の違いに苦しむことになるという予定だったのでは。
と、ここで桜の計画は破綻するわけだ。
富士子の自殺である。
これは、桜には理解できない行動だったと思われる。
それは、一巻で桜が溝呂木に姉の死んだ理由が知りたいと言ったことや
二巻で桜が飛び降りる前に、
「本当はずっとよく分からなかったんです。どうして彼女が飛んだのか」
といった台詞から推察できる。
さて、やっと事件の発端である富士子の死、までたどり着いた。
これからの経緯こそが、我々の度重なるミスリードを引き起こし
ウツボラの謎を生むのだろう。
だが、ここで肝心なのは事実と登場人物の推理は必ずしも一致しないということだ。
通常、物語ではモノローグが織り込まれることによって
読者は、登場人物が何を思考するかの手がかりを得る。
しかし、ウツボラでは事実を知る桜の心情はほとんど独白されない。
私が見つけただけで、二つ。
アパートに刑事が来て、「もう駄目だ」と錯乱する時。
もう一つは、辻に抱かれた後シャワーを浴びながらの
「自分が自分から離れていってるような気がする」この二点。
桜と富士子の回想も、会話のみで心情がモノローグされることはない。
事実は桜の中だけに、真実は富士子の中だけにという徹底ぶりが
読者の混乱を招いている原因の一つだ。
徹底しているということは、この二つの台詞は重要なカギになるということでもある。
加えて、溝呂木や辻、刑事たちの推理はことごとく外れているという点も
さらに混乱する要因だ。
通常、モノローグで嘘が語られることは少ないが、
溝呂木の場合、嘘ではなく勘違いしたままの心情なので
あたかもそれが真実のように語られてしまう。
その点を踏まえて、富士子の死後の経緯を辿ることにする。
長い、今回はすこぶる長い記事だ。わかってる。
では続きをどうぞ。
遺体の身元確認の為、溝呂木と桜が呼び出され、二人は出会う。
これは、携帯に残された唯一の履歴が二人だったというのは
死んだ富士子の仕組んだことだ。
こうやって、二人が出会えば桜は元の計画通り「双子の妹」として
溝呂木に接触するだろうということが富士子にはわかっていたのだろう。
そしてその出会いで、必ず溝呂木は自分と桜のこと、
「藤乃朱」という人物の物語を完成させるだろうと。
飛び降りる前、富士子が桜に語ったことの目的がこれだったのだと思われる。
朱の双子の妹として出会いなおした桜と溝呂木だが
溝呂木は、朱の遺品の中にウツボラの続きを書いた原稿がないか、
或いは盗作となる証拠(原稿の写し)が存在していないかを確認するため
桜との接触を図る。
桜は、当初の計画通りに「桜」としても溝呂木と情交を深めていきます。
ここで、刑事たちの奔走が同時進行し、溝呂木と読者の中に
謎の「藤乃朱」という人物像が刷り込まれていく。
藤乃朱と三木桜は同一人物ではないか、では死んだのは誰だ。
その刷り込みは溝呂木にも影響しているので物語はどんどん複雑になっていく。
謎深い一巻で最後、「私たちで『ウツボラ』を一冊の本にしましょうよ」と桜は言う。
これで桜の目的がはっきりするわけだが
この台詞、桜と富士子の間でも交わされたものだろう。
二人の当初の目的もまた、ウツボラを一冊の本にすることだったのだ。
二巻に突入。
溝呂木は案の定、桜に溺れ思考能力を奪われてゆく。
桜から原稿を貰い、身体を重ねる機械的な日々を送っている。
逆に桜は溝呂木を束縛することで、だんだんと生気を取り戻しているようにも思える。
公園で待ち合わせた逢瀬の時、桜の表情は別人のように人間らしい顔をしている。
おそらく策略とは離れ、溝呂木を愛し始めていたのだろう。
しかし、溝呂木の中にはまだ疑惑が残っている。
自分の抱いていた朱と桜を別人だと思いながらも、別人だと言い切れない。
そうなれば白黒はっきりつけたくなるのが、人間というもの。
溝呂木は桜に「やはり君は朱ではないんだね」と確認してしまう。
これをきっかけに、桜として溝呂木を愛し始めていた桜は混乱する。
溝呂木は朱ではないというしかし、桜は「朱」でもあるのだから。
混乱したまま朱は溝呂木から逃げアパートに帰る。
そこには刑事が待っていて、朱である富士子の遺骨を手にしていた。
骨となって帰って来た富士子を見て、溝呂木を愛し始めた自分と
二人の計画とのズレが生じていることに気付いたのではないか。
「もう駄目だ」このモノローグは一見すると刑事に正体が露見することにかかっているように見える。
だが、これは富士子と桜の計画を自分で崩し始めていることにかかっているのでは?
富士子が集めた溝呂木の切り抜き記事で埋め尽くされた部屋で
叫び泣く桜。愛しいはずの富士子への憎悪も育っていたはずだ。骨壷投げてるし!
このことがあってから、桜は再び冷酷な表情になり
計画を軌道修正する。盗作の事実を明らかにし、
桜だけでウツボラを本にしようと考えたのだろう。
しかし、ここでも桜は挫けてしまう。
辻は、会うなり桜のことを
「溝呂木先生の作品から抜け出たような人」だと言い放つ。
それはおそらく、富士子からも散々言われた言葉だろう。
この一言で、辻は「富士子の身代わり」ひいては「溝呂木の身代わり」にされるが
桜を貫くことの出来た辻では、その役が務まらなかったのだろう。
すぐに桜は辻の前から姿を消し、再び溝呂木の元へ戻ることになる。
その間、辻さんは色々大変な目にあってるが本筋じゃないのでカット。
溝呂木と桜は富士子が飛び降りた屋上で再会する。
ここで、桜はおそらく事実を語ろうとしていたんだと思う。
自分が誰であるか、二人の計画、入れ替わりの謎を白状するつもりだったのではないか。
けれどそれが出来なかったのは、
溝呂木先生の一番大きな誤認した事実が原因だろう。
会わなかった期間、溝呂木は考えた。
その結果、桜を朱だと言い、桜である朱がウツボラの作者だと断定する。
そうして桜の告白は打ち砕かれ、彼女もまた
富士子が辿りついたのと同じ結論に至る。
「先生は自分の作品しか愛せない。だから私は先生に書いてもらうことで先生に愛される」
桜はウツボラの作者が桜であるという大きな誤解を解かず、
ただ溝呂木にウツボラを完成させることだけを約束させ、飛んだ。
結局、桜の自殺は叶わず生き残ることになった。
刑事は最後まで桜を秋山富士子だと誤解したままだが、
富士子の兄からの差し入れられたケーキが桜本人の好物のチーズケーキではないことからも
やはり、誤解は誤解のままなのだ。
そして、溝呂木から「ウツボラが完成した」という旨の連絡が入ったのだろう、
桜は溝呂木の元へ向かう。
富士子の遺骨に見守られながら、一心不乱にウツボラを書く溝呂木。
一頁目から書き直したのかもしれない。
完成したウツボラを読み終えた桜に溝呂木は辿りついた真実を伝える。
桜はウツボラの作者ではない。作者と溝呂木が会ったのは一度きり。
そして、桜の「うまくやれたでしょうか」という問いに
はじめて溝呂木は正しい返答をする。
「君は完璧だ 君こそ僕の一番愛しいものだ」
はい、これで秋山富士子としての朱も、三木桜としての朱も成就しましたね。
って、多分まだ大いなる謎がひとつだけ残っている。
それは、何故、浅○○○○は三木桜となり、この経緯を辿ることになったのか、だね。
一切語られることのなかった浅某の心情を推察していこう。
長い、本当に今回は長い。
けれど、仕方ないんだ。ウツボラってすんげーーーー面白いから!
ということで
まず私がヒントにしたのが、二巻、病室のシーン。
老いた刑事は飛び降りた桜に、兄や家族の心配を伝え、
家族の存在こそ人を生かしているのだからそれを幸せと思えと説く。
これに桜は「刑事のお説にのっとれば、私はもう一度死んでいる」と答える。
これは何故か。刑事のお説というのは、家族を失い浮き草の気分になったということで
それから慮るに、浅某は天涯孤独の身だったのではないか。
彼女はこう続ける。
「望んでもいないのに生まれ、こねただけの粘土のように何者でもなく、
どうしようもなく生まれてどうしようもなく死んでいく」
裏を返せば、望まれて生まれてきたわけでなく、粘土の塊のように扱われたとも取れます。
極論だが。
浅某と富士子の関係でいえば、最初に声を掛けたのは浅某だが
彼女に惹かれ溺れたのは富士子の方だったのではないかと思う。
なぜなら、浅某は溝呂木の作品から抜け出たような姿をしていたからだ。
富士子がなりくてもなれなかった姿だったはず。
自分に執着を見せる富士子を浅某は愛しく思ったことだろう。
誰かに深く執着されるということを経験したことがなかったのかもしれない。
しかし、富士子もまた「三木桜」に執着したのではなく
「溝呂木の小説から抜け出したような容姿をする女」なのだと判明し
浅某はまだ、富士子からの執着が弱いと考えたのではないだろうか。
もっと自分に執着し、溺れさせようと。
第二に公園での溝呂木と桜の逢瀬。
あの時、なぜ彼女はあそこまで柔和に微笑むことができたのか。
第一のヒントを元に考えると
三木桜として生きる浅某は、何者にもなれない漂いつづける自身の空洞を深めていた。
しかし、朱としての桜が朱としての富士子と同時に死んだ後
溝呂木と接しているのは三木桜としての自分なのだという考えが芽生える。
「三木桜」として溝呂木に愛され、「三木桜」として存在していく。
それはアイデンティティを獲得しないまま生きてきた浅某としては、幸せに映ることだろう。
溝呂木から「君と朱は似ているのかそうでないのかだんだんよくわからなくなってきたな」
そう言われた浅某は、溝呂木に期待したのだろう。
朱に似ているからではなく、自分を愛してくれるのではないかと。
しかしその想いを溝呂木に拒まれ涙する浅某。
直後には、刑事たちに自分は秋山富士子だと断定されてしまう。
またも、確立しつつあったアイデンティティを失ったのだと考えると、
「もう駄目だ」という独白が、「自分が自分から離れていってるような気がする」に繋がっていく。
変化する女の物語である「ウツボラ」
富士子がこの小説を書いたのは、桜と出会ったことから書かれた物語だとしたら
桜が「ウツボラ」を世に残そうとした意図が分かる。
自分の存在を確立する為ではないだろうか。
桜の行動が、富士子の為だと考えると辻褄が合わないが、
総て自分の為であると考えれば納得がいくのではないだろうか。
・自分(富士子が桜の)ことを書いた「ウツボラ」を投稿し、世に出そうとする
・溝呂木に近づき、ウツボラになぞられた女たち(桜と朱)として現れ、溝呂木がウツボラを完成させるよう仕向ける
・富士子が死んだ後もウツボラを完成させる為、溝呂木に近づく
こういった経緯だと、私は認識するに至った。
結末として、描かれているのは溝呂木の死と桜の妊娠。
溝呂木は不能者だから、お腹の子は辻が父親だという説もあるが
溝呂木の不能が損傷によるものなのか、トラウマによるものなのか
判然としないことから、溝呂木の子を宿していると考えたい。
懐妊によって、桜は三木桜としての存在を確固たるものに出来たとすると、
ハッピーエンドな結末だと言える。
あー長かった。長すぎた。
読む人も疲れたと思う。私も疲れた。
あれ、ちゃんと考察になって・・・ないな。