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なんでも、かんでも

なんでも、かんでもレビューするだけのブログ。

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ヒョンビンが可愛すぎて困るシークレットガーデン

ハマった瞬間、奈落の底に突き落とされる。
それが韓国ドラマだ。
十数年前、高校生時分に「秋の童話」や「イブの総て」は毎週見ていたが
ここまでハマることなんてなかった。
クォン・サンウにだって、ドラマを一本と映画を二本くらいで飽きたのだ。
なのに、ヒョンビンはあかん。
輝きすぎてて目が潰れる。でも潰れたらヒョンビン見れなくなるからやめて!!
嗚呼、ヒョンビンに怒られたい。黙ってろって言われたい。
断言する。そんなことしか考えていない。うちの犬を愛でるかヒョンビンを愛でるかの二択生活。
さて、ヒョンビン出演作だが

・シークレットガーデン
・雪の女王
・私の名前はキム・サムスン
・百万長者の初恋
・彼らの生きる世界

上記は鑑賞済み。
チングは見かけて、中断。ヒョンビンがなかなか出てこないから。
アイルランドは、あれは見られたものじゃない。一話しか見ていないが、総集編?と疑うほど脚本及び編集が珍妙。
ヒョンビンのもたらす輝きに泥を浴びせるがごとくストレスがたまるので、却下。

ということで、鑑賞済みの中で一番ハマったのは
やっぱり、シークレットガーデン

御曹司が、貧乏なアクション女優キルライムに一目惚れする話。
THEがつく王道ストーリー。
誰でも分かるように説明しますと、「花より男子」の道明寺とつくしが
映画「転校生」のように身体が入れ替わっちゃうという物語。
(なんだ、転校生は古いか?尾美としのりがめっちゃ可愛いのに!)

最近の日本の役者はほとんどそのタレント性で芝居をする。要するに、演じ分けが伝わってこないのだ。
どのドラマ見ても同じような役やってるな、ではなく同じように演っているだけなのだ。
脚本、演出がタレントに頼っている場合もあるかもしれないが。
演じ分けられないから、夕方の再放送で見てもピアニストなのかロン毛の営業マンか、破天荒検事なのか
一見、見分けがつかないのである。
まあ、ディスりはこのへんにしておいてヒョンビンだ。

ヒョンビン推しだもんで、過大評価かもしれないがそう大袈裟でもないだろう。
シークレットガーデンの中で、ヒョンビンは3役を演じ分けている。

・御曹司のデパート社長ジュウォン
・身体はジュウォン心はライム(女役)
・二十歳のジュウォン

これが、面白いくらい全部別人に見える。勿論、キルライム役のハ・ジウォンも巧い。
男女が入れ替わっていることが喋らずとも、例えば目を開けるだけの芝居で分かるのだ。

更に言えば、ヒョンビンは同一人物の現在と過去も見事に演り分けている。
現在の社長ジュウォンの身体のまま、記憶(精神)だけが二十歳の青年へと変貌しなければならない。
これを、ヘアメイクや衣裳に頼らずに差をつけるのは難しい。
それらを演出すれば、別段難しいことではないのだが、このドラマでは表情や話し方、仕草だけで13年の時空を飛び越えなければならない。

まず目が違う。
現在の社長ジュウォンが権力や地位に基づいた輝く自信を眼光にたたえているのに対し、
青年ジュウォンは根拠のない自信と希望で目を輝かせている。

別にヒョンビンがキラキラして私に見えているわけではない。本当なんだってば!!
いや、うん、断じて幻覚ではない。
その証拠に、「雪の女王」では人生に絶望した若者を演じているが、その時は別に輝いて見えてない。
断じて、私の幻覚キラキラではない。

もうひとつ、シークレットガーデンにハマった要因がある。
主題歌、及び挿入歌が秀逸だからである。
全20話、見続けていると洗脳のように頭から離れなくなっているのだ。
私は、殆ど歌えるようになってしまった。



上記の動画は、劇中で使われた楽曲が何曲か収録されている。
ヒョンビンが歌うクヨジャから始まりキム・ボムスのナタナ。
特にナタナは、もう大好きだ。
ウェネヌナペ ナッタナー
ドラマの良い所で必ず流れてくるので完全に洗脳されたようである。
従ってOSTも素晴らしい出来になっている。
特に無印ver
CD二枚組+特典DVD
このDVDがまた良い(・∀・)
韓国での最終話放送日当日に行われたライブの模様が収録されている。
こういう催しは、盛り上がるだろう。羨ましい。
日本の現状として、こういう企画は成り立たない。
というか、そこまで熱狂的に支持されるドラマが近年誕生していないから仕方がない。

ドラマ本編も、OSTもすべて某レンタルショップにお世話になった。
しかし、時を経るごとに
いつでも手元に置いておきたくなってくるのだ。
特に、DVDBOX。
封入特典有りと、それ無しでは価格が随分と違う。
いーーーーーやあああああああああああああ
封入特典欲しい。ポストカードとか別にいらないけど、
特典DVDが、欲しいいいいいいぐおあああぎびぶぶぶぶぶぶぶ

と、まあ、人間をこういった散財スパイラルに放り込むのがヒョンビンです。
除隊後のドラマが早く決まって欲しい。
映画もいいけど、連ドラのがいい。長く楽しみたい。
嗚呼、ヒョンビンに怒られたい。
黙ってろって言われたい。冷たい目で睨まれたい!!!
そんなことしか考えてません。
ええ、クズです。


こちらは、女性が歌うナタナも収録。他inst曲も。


こちらは、DVD付。


そしてこれがDVDBOX。封入特典とDVDのみだと価格差1諭吉・・・あ、吐きそう

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八犬伝

なんでも、かんでも

仕事を変えて、今まで時間の取れなかった映画鑑賞(主にレンタル)だったり、観劇や読書(これは仕事してる時でも読んでたけど)だったりなんかを楽しんでいます。
大いに楽しんで夢中になるくせに、次の愉楽をあさり始めると、
ところてんのように忘れてしまったりするのは決して歳のせいではなく、そもそもがそういう人間だからである。
しかし、せっかくだからいつでも思い出したい。
なので、健忘症気味な私の備忘録として、読んだもの観たもの楽しんだもの、
なんでもかんでも記録していこうと思う。
酷評も絶賛も、どちらも同じくらい考えて、等しく書くつもりである。


さて、なんとなくレビューだけのブログをしておいた方がいいかなあと、薄ぼんやり考えていたけれどどうも踏み切る手間を惜しんでいたのだが、その重い腰を蹴り上げたのが
先日、観劇した「八犬伝」である。
デカい画像だが、チラシの画像はこちら。


八犬伝公式HP

年明け頃から、デンデンデンと深紅のバックに藍の袴を着た阿部サダヲ、瀬戸康史、田辺誠一がならぶCMを名古屋テレビは流し続けていた。
深紅と藍という色のコントラストが非常に美しく、眼を引くCMであった。
はじめは、特に興味はなかったがほぼ毎日、しかも数回は見ているうちにむくむくと興味が出てくる。
そのうち、キャストプロフィールが追加され、二階堂ふみ(宮崎あおいと顔の違いを誰か教えて欲しい)、津田寛治、中村倫也が後続した。
阿部サダヲでなく、瀬戸康史でなく、二階堂ふみでなく、中村倫也が決め打ちだった。
中村倫也は、面白い役者だと思っている。
雰囲気も顔も、七変化のように芝居を変えれるところも良い。
迷った挙句、チケット購入した。
なぜ迷うって、大きい公演はチケット代が高いからである。諸々で8000円ほどかかった。
しかもS席でなく、A席で。高いよー高いよー
小林賢太郎の公演だってそんなにしないよー高いよー
とまあ、私にとってはお高いチケットを握り締め、いざ刈谷へ。

席は二階5列。役者の顔は見えません!しかも乱視が進行したのか、肝心の「玉」さえ一つが五つくらいに分身して見える始末。
あんまり大きな公演に行った試しがなかったので、ここまで舞台から遠いとは思ってなかった私が悪い。
まあ、それはいいとして。
芝居の話をする前に、八犬伝とは、薄ぼんやり説明すると、犬の一文字を名に持つ八人の若者たちが、それぞれ牡丹のような痣を躰のどこかにあり、漢字が浮かび上がる玉を持っていることから「同志」だと信じ、大義の為に集結して、なんやかんやするっていう冒険活劇。
滝沢馬琴原作で、薬師丸ひろ子主演や滝沢秀明主演で映画化も何度かありましたね。
最近では桜庭一樹さんの伏・贋作里見八犬伝が刊行されたりアニメ化したりと話題も多いです。
でも、大まかな物語しか私は知りません。
今回は、青木豪が書き、河原雅彦の演出「八犬伝」を楽しんできました。


ということで、
和太鼓の音と共に八犬伝、幕開けです。
血のあとが荒々しい一室。
「なにゆえ〜〜?」と登場した阿部サダヲ扮する信乃。


「なにゆえ~」連発に笑いが起きる。
冒頭、信乃のコミカルな動きから始まり、要所要所に笑いが仕込まれた演出である。

そんなこんなで、信乃は父から宝刀・村雨を預り、献上するために旅に出ることを決意します。
そのタイミングで瀬戸康史扮する犬川荘助が信乃の持つ「孝」の字が浮かび上がる玉を見て、
荘助も「義」の玉を持っている上に、信乃の痣と同じ痣があるとして、自分たちはなにか「使命」があるのではないか、と信乃と共に行くことを提言します。


そこでオープニング。
青色に光り宙を舞う八つの玉、上手下手に仁王立ちする信乃と荘介。
まるで映画やアニメのOPのような演出でプロジェクターの映像と和太鼓が臨場感を煽る。
この舞台、上手下手に可動式の櫓が据えられていてそれぞれに和太鼓が設置してあり、音源でなくLIVEで音が鳴る。
 
画像の左側がその櫓。これは幕が掛かってる状態で上部に奏者と太鼓が隠れてる状態。
一幕の中盤で、尾上寛之扮する犬飼現八と信乃が奏者に代わり太鼓を打ち鳴らすというパフォーマンスもあり。これは、見事!

お話としては、
八犬士が次々と見つかり始めるが、信乃が刀傷から破傷風を患い死にかかる。
八犬士の一人である犬江親兵衛が「男と女の血をそれぞれ5合ずつかけると治る」という言葉に縋って
二階堂ふみ扮する浜路と荘助が身を呈して、信乃を助ける。
結果、浜路は命を落とすが荘助は助かる。
遂に八犬士が集結し、法師から里見を救うという「大義」を知らされる。
いざ行かん、里見へ!と旅路につくが、仲間の裏切りがあって・・・

という感じでした。
オチでいうと、レイアース無印。「こんのってないよーーーーーーー」と叫ぶ八犬士。
叫んじゃいませんがね。

物語は、二幕から原作を大胆に脚色してあって別物。
もののけ姫然としていて、随分と教訓めいた終幕だった。


感動!!!!!!という物語ではなかった。あくまで私見だが。
なにが良かったって、和太鼓だ。言い切ります。
この舞台、ことあるごとに立ち回りが始まる。
殺陣ってのは、どれだけ上手くても引きで見ると悲しいかな、寸止め感が大きくなる。
映像作品になると、画面を切れるのでちゃんと「殺し合ってる」感が演出出来るが、舞台では難しい。
それでもこの舞台が概ね好評価だったのには、和太鼓があったからだと思う。
LIVEでなく音源だったら、殺陣はかなり迫力を削られただろう。
生の音には、それだけでパワーがある。なんたって身体に響く。
観客はドンドンと打ち鳴らされる音に、腹の奥底が震える。
立ち回りをしている彼らの心拍や息遣いが太鼓の音に乗って伝わっているように、
殺陣にそれだけ命を吹き込んでいた。

舞台は生だって、よく言うけれど、大きな公演になると「生」ではないと思う。
SEが音源だっていう話だけではない。
何よりも悲しいのは、肉声ではないこと。
小劇場でみる芝居には、圧倒的なパワーがある。それがてんで面白くない芝居であっても。
役者の表情がどの席からも見え、ちゃんと肉声が台詞を生むからだ。
その迫力は、大きな公演では等しく享受出来ない。
マイクを通す台詞と肉声とでは、観客に届ける情報量は桁違いだから、それが惜しい。
でも、マイクを外すとなると、あの広さの劇場で最後列まで届けるのは自殺行為だろう、喉が潰れる。
そこでもまた和太鼓は、大きな役割をもっていた。
立ち回りも、肉声も、舞台が持つ嘘臭さを、生の音で吹っ飛ばしていた。

ということで、初回から長々と書いたが、和太鼓万歳という話。
中村倫也さんも、毛野ということで立派に女形を演られてた。
声色や身のこなしは勿論、女から男へ変貌する瞬間が非常に上手かった。
今度生まれてくる時は、畜生になってやるっていう台詞も良かった。
他のキャストは、期待を裏切ることなく、つつがなくといった所。

あ、ちなみにラーメンズは全部地声でやってると思うわ。
マイク付けてない、はず。私の知る限りでは。
だから劇場も適度に小さいし、賢太郎かっこいいし仁ちゃん可愛いし、早く本公演やってくr



ということで、「八犬伝」、美味しく頂きました。

2013/04/014 名古屋公演千秋楽を観劇




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