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なんでも、かんでも

なんでも、かんでもレビューするだけのブログ。

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ヒョンビン不足

悲しいくらい乾ききった日々を送っています。
夏だから、炎天下だから、どころの問題じゃなく
ヒョンビンが不足しているからです。

シークレットガーデンの再放送も終わってしまったし
チング、アイルランドには食指が動かない・・・
サムスンも飽きるほど見たし、
写真集もあるけど、私はヒョンビンの芝居が好きなんであって
顔と姿だけが好きなんじゃない。
もちろん、顔と姿が好きだから芝居が好きなんだけど。

復帰作はまだまだだし、
金銭的に、DVDBOX買ったり、レンタル化されてない作品のDVDを買うことも出来ない…
悲しいかな、どうやってもヒョンビンが不足しているのである。
ただただ、私は画像検索するを眺める日々―・・・




そこで、すこしでもトキメキ要素を吸収しようと
前々から観たかった、「イケメンラーメン店」をレンタル。
イケメンラーメン店ってタイトルからして、期待出来ないんだけど
お嬢様にお願いでユン・ウネに振られたチョン・イルが出ているので。

御曹司と怪力?貧乏女とのラブコメってことで既にSGと似てますね。
設定も似てるなあ、と思ったらSGのパロディ出ましたww



青いスパンコールのイカレジャージ再び。
全く持って、ヒョンビンとは似ても似つかないけれど
SGファンとしては、笑えるパロディでした。
今、必死にチョンイルが片思いしている場面に差し掛かっているのでちょっと面白くなってきたかな??
ちなみに、レンタルはTSUTAYAのみ、らしいです。

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小説「君の名残を」を号泣する。

悲しい物語は読みたくない。
そう、常々思っている。
繰り返された大大円を見たい、そう思うのに
何故か、読む本読む本、悲しい物語。
泣きたいだけ、泣いてしまう。

今回、涙のスパイラルに引き寄せられて手にとったのは


君の名残を
浅倉卓弥 著
単行本にて読了




トンデモ歴史物って好きなんです。
本当はこんなことが起こってたのかもしれない、と思うと胸熱です。
今作は平家物語を主軸としたトンデモ大河スペクタクル。
史実がどうこう言いだしたら、こんなにつまらない話はないので
薀蓄は言わないように。
私のように歴史に対する知識が浅い方が楽しめるのかもしれない。

或日、嵐の夜に日本から三人の高校生が姿を消した。
この国の、歴史を動かす為にー

映画化して、コピーをつけるならこんな感じかな。

現代の高校生として生きていた友恵、武蔵、志郎の三人が
嵐の夜、何者かに呼ばれるように
落雷と共に800年前の平安末期へとタイムスリップさせられてしまう。
気がつくと、同じ場所にいたはずの三人は離れ離れになっていて
友恵は一人で目を覚まし、木曾義仲という少年に助けられる。
なんとか事実を受け入れ、そこでの生活に馴染み始める友恵。
しかし、義仲が歴史上の人物として教科書に載っていたことを確信し、
そして自分が木曾義仲に寄り添った「巴御前」として生きるのだということを悟る。
武蔵、志郎もやはり、それぞれの場所で歴史を動かした人物として生かされていた。

というのが、あらすじ。

知名度のあるところで、歴史のどのへんかというと
源頼朝、義経、平清盛、このあたり。源平合戦というんでしょうか。
それぞれの出自や事実関係など、史実と照らし合わせると綻びだらけだが
そんなロマンの無いことを言っては台無しなので、先にも言ったように御託は並べない方が良い。
結構な文字数ある作品な為、時代の変遷を追う中盤ではダレたと感じる方もいるかもしれないが
それは、後半に号泣する準備を整える為です。
これで泣かないのなら、泣くまで待てないホトトギス。
号泣必至、ストレス発散に是非読んでみてください。

以下、ネタバレになりますので未読の方は退避



何より、この作品の素晴らしいところは
メインの登場人物たちが、
いずれ、自分が/愛しい人が、死ぬことを知識として知っているということ。
武蔵に至っては、どんな風に死ぬかも知っている。
その身に矢を射られて死ぬということを。
加えて、友恵・武蔵・志郎の三人が
これでもかというくらい、出会わない。
すれ違いさえ、しない。
友恵と武蔵に関しては、タイムスリップ前の生活では
幼馴染であり、剣道仲間でありライバルであり、友達以上恋人未満という関係だった。
離れ離れになってからも、二人は会いたい会いたいと思い続けているのだが
友恵はいつしか巴となり、義仲を愛するようになる。
武蔵は反対に、操を立てているわけでもないが、友恵を忘れられずにいる。
これがまた切ない。
壮大な大河ドラマなので、友恵たちがタイムスリップした冒頭から
集結までにおおよそ三十年くらいは時間経過がある。
その為三人は、時を経るにつれ「現代」で生きていた自分に戻れない、と思うようになる。
武蔵も友恵も、その手を血に染めた時に戻れなくなったということだろう。

タイムスリップものでは定石の、もといた時代に戻るという神隠しエンドが用意されていないところもまた、掴まれる要因かもしれないなあ。
いつか、また落雷があって現代に戻れるんだ、
そして輪廻を経た氷室や義仲と出会って欲しいと願いながら後半の畳み掛ける悲劇を読んでしまう。
映画ロミオ+ジュリエット(ディカプリオとクレア・デインズの)で、お願い間に合って!と願いながらもやっぱりジュリエットが目を覚ました瞬間にロミオが死んじゃうという
あのスパイラルを彷彿とさせる感情。
わかっているのに、わかっているのに、そうなってほしくない!と願わずにはいられない。
それほど役者たちに心を寄り添うことが出来た。
泣いて泣いてむせび泣きました。私。
かなりオススメである。

ということで、「君の名残を」美味しくいただきました。



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変態も極めてしまえば美しい 岩井俊二「ヴァンパイア」を観る。



「花とアリス」から8年。
ようやく岩井俊二監督の長編映画にありつけた。
オールカナダロケ。全編英語。外国人キャスト。蒼井優。
わくわくするしかない。

内容紹介

 惹かれあう孤独な魂たち。この世の果ての恋物語ーー。

「死ぬなら君の血をくれないか」
「僕はヴァンパイアなんだよ」

校では自殺を考える生徒を説得する誠実な教師を演じながら、プライベートでは自殺サイトに接触し、若い女性の自殺を幇助する代わりに、血を飲ませてもらっていたサイモン。
自殺志願者の間では有名な存在で恐れられているが、せっかく飲んだ血は吐いてしまうし、他の殺人犯が女性を狩る姿を見てパニックになる、気の弱い男でもある。
ある日、血を抜かれた若い女性の遺体が相次いで発見された。“ヴァンパイア"と呼ばれる連続殺人犯が世を賑わす中、サイモンは、新た
な女性との出会いを求めようとする……。
孤高なる美意識と世界観で読者を魅了し救済する、岩井ワールド炸裂の恋物語
(Amazonより抜粋)


ヴァンパイアと聞くと、もれなく銀の十字架やニンニク、太陽光で灰になる吸血鬼を思い浮かべる。
だがしかし、岩井俊二のヴァンパイアはそうではない。
吸血行為は陽射しが美しい昼日中に行われ、ニンニクの効いたパスタも食べる。
この吸血鬼は、不老不死でもなく超能力もない、普通の男である。
ただ、血を飲むということに異常に心惹かれてしまった、ただの人間でしかない。
事前情報をインプットしないまま、鑑賞した。
私とて、所謂ヴァンパイアが現れることを期待した。
死にたがりの女に、優しい言葉で近づき、一緒に死んでくれるのに
女が死んだ後で生き返るようなヴァンパイアを。
しかし、サイモンはそうしない。
不器用ながらも、一所懸命に死にたがる少女たちを「血を抜いて死ぬ」という方法に誘う。
彼は、一緒に死んでくれるわけではないのだ。

少女を冷凍庫に横たえると、儀式然としてくる。
それが、とてもとても美しい。
サイモンの母に取り付けられた風船も綺麗。彼女は天使かもしれない。



吸血鬼と言えば、吸血行為は暗に性行為を示している。
けれど、岩井俊二は、ただ血を飲むという行為自体を恍惚として描いている。
劇中人物レンフィールドのように、吸血と射精を混同しないことが
「誰も描けなかった吸血鬼」というキャラクターだと思う。

今までの岩井作品というと、溢れ出る変態汁をどうにか隠してるんだけどやっぱり染みでちゃってる映画という印象だった。
8年経って隠すのをやめてオープンしてみたら、変態汁びたしの中で何故か美しさと切なさが際立っている。

どこが変態って、花とアリスでもそうだけど、少女たちへの観察眼が鋭すぎて震えがくるでしょう。
「少女」或いは「女子」しか持たないニュアンスを完全再現してしまうのが岩井監督。
かつて少女や女子だった女性でも、忘れてしまっている瞬間を作れる成人男性(50)
これを変態と言わずなんと言う。

アンビリバボーの再現ドラマとかなんとか揶揄されてはいるが、
カナダロケにする必要性はあったと思う。日本人キャストでこの物語を描けば、想像するだけで空々しく馬鹿げている。
金髪碧眼の美しいお伽話の住人たちと、日本を代表する魔女・蒼井優であってこその映画だろう。

とはいえ、塚本晋也化現象は危惧すべき。
脚本+監督+撮影監督+音楽+編集+プロデュース:岩井俊二
原作:岩井俊二「ヴァンパイア」幻冬舎刊
自主制作かっていう。
もちろん、数多くのスタッフが現場にはいるけれど
監督の制約が減るということは、それだけ客観性が無くなるわけで
良くも悪くも岩井俊二作品だと言われてしまうのも仕方ないことなのかもしれない
音楽も単体で聴けば綺麗なんだけど、「花とアリス」と被りすぎてて気が散ってしまう。
せめて音楽だけでも違う方を起用したほうがいいなじゃないだろか。
篠原昇撮影監督を乗り越えて、新たな相棒が見つかることを願う。




8年、しかも女性が一番顔が変わる時期の前後で印象が変わらないというのはもう魔女ですよ。
素晴らしい。


ということで、「ヴァンパイア」とっても美味しくいただきました。

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映画「ブルーバレンタイン」を観る。


  • 出演:ライアン・ゴズリング ミシェル・ウィリアムズ 
  • 監督:デレク・シアンフランス
内容紹介

愛を知る誰もが経験のある、しかし誰も観たことのないラブストーリー
愛が変化していくどうしようもない現実と だからこそ輝かしい愛が生まれる瞬間──
過去と現在が交錯し、愛の終りと誕生が重なり合う未だかつて観たことのない、新たなラブストーリーの傑作
(Amazonより抜粋)

お気に入りのライアン・ゴズリングのブルーバレンタインを筋トレしながら鑑賞。
底なしの暗さ、として評判の高かった今作。

まずはあらすじ
ディーンとシンディ、この二人の夫婦についての話。
ゴズリング演じるディーンは朝から酒を飲み塗装の仕事をだらだらとしている。
しかし家族への愛情は尽きることはない。
一方、シンディは妊娠により諦めていた医療の道を努力の末取り戻し、忙しく働いている。
二人の愛娘はすくすくと育ち、7歳になる。
懸命に働くシンディはディーンの働き方がどうしようもなく怠惰に見えてしまう。
自分と同じように生き生きと仕事をして欲しい、夫にはその才能があるはずなのに
見てみぬ振りを決め込んでいることが我慢ならない。
ディーンはディーンで、手に入れた家族を守る為に努力していた。
妻を愛していたし、血の繋がらない娘にもめいいっぱいの愛情を注いで育ててきた。
なのにシンディーはどんどん離れていってしまう。
二人の夫婦がいかに出会い、いかに別れるかまでを追った物語。


七年前、運命的に出会い恋に落ちた二人
七年後、どうしようもない焦燥感に駆られ離れることしか出来なくなってしまう二人
出会って結婚するまでの過去の物語と、離婚寸前の現在の物語を交差させて
終わってしまう愛の痛さを突いた作品。

面白いのは、何があってこの二人が離れてしまうのかという「途中経過」を一切見せないこと。
だからこそ、この映画は「リアル」だと共感を生んだんだと思う。
映画的に言えば愛が壊れる理由はあって然るべきなんだけど(浮気とか借金とか諸々ある)
現実では、決定的な一大事ってことが無いのが大多数だろう。
なんで別れたの?と尋ねると
「なんでってことはないんだけど、積もり積もってかなあ。今でもお互い好きは好きなんだけどね」
とかいうことを抜かすお友達が、一人二人いるんじゃないでしょうか。
そういう方たちの共感を得ている映画でございます。

おそらく、大多数の方が妻シンディの行動が酷いという感想を持つと思われる。
けれど、それは仕方ないのだ。
監督は男。十年も練ったと言うのだから、
男の怨念が篭ってるわけで女が奇怪で性悪女になるのは致し方ない。

けれど、女性ならシンディの気持ちも分かるんではないでしょうか。
相手に非があるわけでもないのに、ふとしたことが嫌になってしまってしょうがないなど。
確かに褒められたことではないけれど、これは「あるある」なんですね。

監督も、脚本チームも噂によると、両親の離婚を経験しているとかしていないとか。
かくいう私も、両親の熟年離婚を経験している為、
この映画、刺さるところがありました。

ディーンとシンディは、何も憎みあって離れたわけではない。
それは、ディーンが激昂して投げ捨てた結婚指輪を、二人して草むらを掻き分けて探すシーンでよくよく分かります。シンディとて、ディーンを愛している。なのに、これ以上一緒にはいれない。
そういったシーンでした。

映画や小説、漫画なんかでは、恋愛関係にあるお互いの心情は、結構な割合で等しく描かれる。
けれど、この映画では「今」起こったことと「過去」に起こったことしか描かれない。
鑑賞者は、ディーンとシンディの心情を推し量るしかない。
それは即ち、己の恋愛関係或いは過去の恋愛関係を慮り補完するしかない。
彼らの心情を理解するには、己を投影するしかないという作りになっている。
例えば、シンディの心が狭いとか、ディーンが情けないとか、そういうことじゃないんだ。

これは愛する人のどこを認め愛し、どこを妥協して赦すかということを提示した映画なんじゃないかな。
それこそが愛を持続させる努力なのだと言いたかったのかもしれない。

そうやって努力していれば、愛が花火のように一瞬の美しさだけを残して消えることはない、はず。

ということで、「ブルーバレンタイン」ビターに美味しくいただきました。




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謎が謎を呼ぶ秀逸ミステリ「追想五断章」

追想五断章
米澤穂信 著
集英社文庫にて読了



内容(「BOOK」データベースより)

大学を休学し、伯父の古書店に居候する菅生芳光は、ある女性から、死んだ父親が書いた五つの「結末のない物語」を探して欲しい、という依頼を受ける。調査
を進めるうちに、故人が20年以上前の未解決事件「アントワープの銃声」の容疑者だったことがわかり―。五つの物語に秘められた真実とは?青春去りし後の
人間の光と陰を描き出す、米澤穂信の新境地。精緻きわまる大人の本格ミステリ。


アニメ氷菓の原作者である米澤穂信氏の長編読了。
最近のミステリの帯でやたらと目にする「最後の一行で必ず読み返したくなる」という馬鹿げた文句。
私はあの煽り帯、虫酸が走るほど嫌いである。
何故かというと、その帯がつけられる小説で面白いものに当たったことがないからだ。
買っちゃうんだけどさ。
「葉桜の頃に君を想う」然り、「イニシエーション・ラブ」然り、
買って後悔すること、すること。
最後までミスリードさせる為だけのモノが多くて辟易する。
だが、敢えて言う。
追想五断章、最後の一文で瞠目することだろう。

メインとなるのは、ある女性の父親・北里参吾が書いた五篇の「リドルストーリー」。
リドルストーリーとは、作者の言葉を借りれば「読者に委ねて結末を書いていない小説」だ。
要するに、謎を謎としたままエンディングを迎える類の小説。
私は、かなり好き。
残された謎を、自分なりの解釈する行為自体が好きなのだ。
(恩田陸の作品なんかは、いつまでもうんうん唸って考えてしまう)
本書の中の、五篇のリドルストーリーには実は結末が用意されている。
用意されているし、それは読者にも明かされる。
明かされるんだけど、明かされない。
そこらへんの匙加減が非常に上手い。読者を不快にさせない話の運びがある

作中の「アントワープの銃声」が、ある年代以上の読者には
実際に起きた「ロス疑惑」を容易に想像させるのだろうけれど
私は巻末解説を読むまで、その事件そのものを知らなかった。
米澤氏の読者層は比較的若い世代だろうから、ロス疑惑のことなど念頭になく読み進めると思う。
それは本作の菅生芳光と同じ境遇となる。
「記憶に新しい一大事件の容疑者」と「大昔に起こった事件の容疑者らしい」というのでは
緊迫感が違う。

それが、本作の肝でもあるように思う。
容疑者は殺人を犯したのかどうかという緊迫した高揚感ではなく、
地味に地味に興味が湧いてくる仕掛けで
気がつくと頁を捲る手が止まらなくなるのだ。

そして、最後の一文。
とても、とても美しい一文。
これを読めただけで、私は「追想五断章」を賞賛する。
残された謎は、参吾にしか分からない。

この一文は、
すぐに読み返して謎を解こうなどの愚行に読者を走らせはしない。

ただ、美しい謎の余韻に浸らせてくれる。
真実は解明する為にあるのではなく、ただ存在しているのだと思わせてくれる。

恩田陸「ユージニア」や、桜庭一樹「私の男」が好きな方は買って損はしない。

ということで、「追想五断章」美味しくいただきました。

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